手すき和紙製造・販売 「紙すきの村」は細川紙はじめ 創作活動の素材としての和紙を 製造・販売しています。


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発祥 産地形成 洋紙との競合

技術の進化
戦時 衰退と文化的
価値の見直し
小川和紙の
現在
   

5.衰退と文化的価値の見直し

 日本の敗戦後、GHQの統制組合制が廃止され、戦時下の「手漉和紙統制組合」は解散し「小川和紙工業共同組合」が新たに発足しました。

 戦後、昭和20年代から30年代にかけ、新興の機械抄き和紙の登場や洋紙の普及、生活の変化による和紙そのものの需要激減が顕著になり、手漉き和紙の生産者は激減していきました。

 さらに昭和30年代には、
地元周辺(群馬・秩父)での楮の生産が無くなり、原料の入荷ができなくなるという事態になりました。
 その結果、高知や茨城から原料を仕入れることになり、「カズかしき」、「カズひき」というそれまで小川町 とその近郊で行われていた
原料処理をする光景が失われました。

 
うした中で、伝統的な和紙作りへの回帰する運動が始まり、昭和42年、地域の中の手すき技術者が、「細川紙技術者協会」を設立します。
 同協会は伝統的技術に基づく和紙の宣伝、普及、技術保存につとめ、昭和44年には「細川紙」が小川町文化財指定、2年後の昭和46年には埼玉県文化財指定されることになります。

 さらに昭和53年4月、「細川紙」は国の重要無形文化財に、同協会が重要無形文化財技術保持団体に認定されました。

 

 

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