手すき和紙製造・販売 「紙すきの村」は細川紙はじめ 創作活動の素材としての和紙を 製造・販売しています。


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  小川和紙の歴史
               
発祥 産地形成 洋紙との競合

技術の進化
戦時期 衰退と文化的
価値の見直し
小川和紙の
現在
   

1.発祥

 古文書からの推測

 小川和紙の発祥を明確に判断できる資料は現在見つかっておらず、その起源については現存する書物から推測するしかありません。

 まず、現在の小川町を含む「武蔵国」において紙すきが行われていたという最も古い記述は奈良時代(宝亀5年、774年)の「正倉院文書」の中の『武蔵国紙四百八十張、筆五十管』という記述があります。 

 また、少し時代を経た平安時代の「延喜式」(927年)にも、同様「武蔵国」の中男作物として紙があげられています。

 これら資料から、武蔵国では1200年前に紙すきが行われていたと考えられます。しかし、これら記述からは「武蔵国」のどの地域で紙を製造したかははっきりとはしておらず、これをそのまま小川和紙の起源とすることは出来ないであろうと指摘されています。

 一方、841年の書物「類聚三代格」には、小川町に隣接する男衾郡(現在の寄居町)での製紙が取り上げられることから、小川町周辺でもこれと同時期(800年代中期)に紙すきが行われていたと推測されています。

 周辺での出来事からの推測

 小川和紙の起源について、現在の小川町周辺での出来事からも様々な推測がされています。

 かつて盛んに言われた説として、正倉院文書の時代からさかのぼることおよそ100年、小川町に隣接する現在のときがわ町にある慈光寺の創建(白鳳2年、673年)に伴い、盛んに写経が行なわれたため、これが小川和紙の発祥と関連があるのではないか、とするものもありました。
 しかし、現在ではこれを否定する説も出ており小川和紙の起源とは断定できなくなっています。

 また、716年、武蔵国内に高麗人を集住させて高麗郡を設けたことが分かっており、高麗からの新しい技術として製紙が伝わったのではないかとの見方もあります。

 起源に関する一般的な見方

 現在、小川和紙の発祥に関するおおよその目安としては、以下を理由として今から1300年前程度と言われています。

@「類聚三代格」に記された男衾郡での製紙実績を理由として、1150年前には小川町でも確実に製紙が行なわれていたであろうこと。

A地理的に製紙に適し、耕地面積的に農作物以外のものを税として納める必要があったであろうことから、1200年程度前の正倉院文書にある「武蔵国での製紙実績」に小川町も含まれるであろうと推測されること。

B正倉院文書に記され、税として納められるだけの製紙技術ができるまでの成熟期間としての期間があったものと考えるべきではないか、ということ。

 これらを理由として、小川和紙の発祥は正倉院文書に記されるまでの100年程度を技術成熟期間とし、1300年程度とすることが多くなっています。

 

 

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