ここまでは風船爆弾について紹介したが、戦争において和紙が利用されたのは気球紙だけではなかった。
<砲兵紙>
気球紙と並び盛んに製造されたのが砲兵紙と言われる火薬の包み紙であった。これは砲弾の中の火薬を湿気から守るためのものであった。砲兵紙には厚砲兵紙と薄砲兵紙があり、それぞれ2尺7分×2尺5寸7分、1尺4寸7分×2尺5寸7分であった。この紙は漉き易い大きさ、厚さであったため、手習の紙としてもってこいであったと言われている。この砲兵紙、気球紙生産の始まる以前から小川町で漉かれており、年間生産枚数は20万枚ともいわれ、これもまた下小川地区において多く生産された。
<擬革原紙>
この擬革原紙は文字通り皮革の代用品であり、皮の代用品と言うことで防寒具の芯、靴、さらには防毒マスクの材料と様々な用途に使われた。この紙も下小川地区で多く生産され、3尺3寸四方の特厚のものであった。その特殊な大きさ、厚さから漉く人は数十人に限られていたという。軍部の指令では楮100%の紙ということであったが実際にはパルプの混入が確認されている。
<その他>
これら以外にも和紙は戦争の道具として、また様々な品が不足した戦時下の生活を支える上での代用品として生産された。
・落下傘紙
・軍帽
・砲弾
・パン紙(乾パンの包装紙)
・靴
・座布団
・ランドセル
・雨合羽
このように和紙が様々なものに使われていたことを見ると、当時の日本の物質的困窮を伺うことができる。
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